No.14 地質年代区分と化石・古生物






1 地質年代


 よく地学の場面で、「古世代」、「中世代」・・などと間違って書く場合があります。地質時代は、古い生物が栄えた時代、中くらいに古い生物が栄えた時代・・だから「古生代」、「中生代」、「新生代」という言葉遣いをします。


 「代」の時代を更に小分けにする場合は「紀」、「紀」を更に小分けにする場合は「世」を用いる約束となっています。
 このような生物の出現や絶滅による時代区分を「相対年代」といいいます。 

 また、さらに古生代の地層を指す場合は「古生界」、古生代石炭紀の地層を指す場合は「石炭系」、新生代第四紀完新世の地層を指す場合は「完新統」というように、「代」→「界」、「紀」→「系」、「世」→「統」対応して言葉を用いることとなっています。
 地質時代の順序については、古い時代から順に「カオシデ石二(ペ)・三(さん(トリ))ジュラ白」、逆に「白ジュラ三(さん(トリ))・二(ペ)石デシオカ、」カンブリア紀から白亜紀まで呪文のようにして地質時代の順序を皆さんは覚えていたようです。お試しあれ。



 古い生物が栄えた時代、中くらいに古い生物が栄えた時代と言っても、それは今から何年前のことかはわかりません。新生代の始まりが今から6400万年前というように、具体的な数値で示した年代を絶対年代といいます。

 絶対年代の決定、(鉱物の)絶対年代測定は放射性同位体の放射性崩壊を利用します。 U(ウラン238)はα線を放出しPb(鉛)に変化していきます。初め1の量あったウランは、45億年後は1/2がウランのままで残り、1/2が鉛となってしまいます。放射性同位体の初めの量が1/2の量に減るまでの時間を「半減期」、「半減期」は放射性同位体の種類によってそれぞれ決まっています。

 実際は、上の例のように、鉱物に含まれる放射性同位体の残存量、崩壊生成物量が、(1/2)n(常にnが整数)となることはありません。

 少し考えて見ましょう。

N0=放射性同位体の始めの量とすると、放射性同位体の残存量Nは

1回半減期期間が経過→N= N0(1/2)

2回半減期期間が経過→N= N0(1/2)2

3回半減期期間が経過→N= N0(1/2)3
                  

n回半減期期間が経過→N= N0(1/2)n

 ここで、半減期をT年とすると、n回の半減期の経過した時間 t 年は、t=nT

t 年後の放射性同位体の残存量をNtとすると、

 Nt=N0(1/2)(t/T)、放射性同位体の残存量、崩壊生成物量を測定すれば、半減期Tは既知であるので t 、絶対年代を求めることができることになります。 


測定法 放射性同位体 半減期
ウラン・鉛法(U-Pb) U 4.7✕109
トリウム・鉛法(Th-Pb)
Th
1.41✕1010
カリウム・アルゴン法(K-Ar)
K
1.28✕109
ルビジウム・ストロンチウム法(Rb-Sr) Rb
4.80✕1010
放射性炭素(カーボン14)法(C)
C
5.73✕103

放射性炭素の半減期が著しく短いのに注意しましょう。

① 古い年代の年代決定には半減期の長い測定法を用います。

② 放射性炭素法は半減期が短いので、現生人類出現の数万年前以降の年代測定に、炭素を含む-たとえば植物動物の化石・遺骸などに対して用いられます。

地質年代区分と造山運動、動植物の変遷の歴史


 この表の全体は押さえておく必要があります。年代の数値が変わっているかもしれません。皆さんで確認してください。

 先始生代/始生代は冥王代40億年前、太古代30億年前、原生代20億年~との見解を示している教科書もあります。

 46億年前頃
 原始太陽系に漂うガス、ダストが集積。太陽・太陽系惑星が形成されていきました。(詳しくは太陽系のページで説明)
 地球の年齢を測定することはなかなか困難。海洋地殻はプレート運動を行い海溝で消滅しています。また大陸地殻も火成活動、造山運動、変成作用によって改変・リニューアルされているわけです。
 原始海洋はpH=3~4の強酸の海で、原始大気は水蒸気、二酸化炭素、窒素が主体でメタン、アンモニアが含まれていたと考えられています。

 先始生代
 原核単細胞生物で酸素がないので無気呼吸をしていて従属栄養で命をつないでいました。
 原始海洋では、無気呼吸の結果二酸化炭素が増大し有機物が減少していきました。


 始生代
 生命の始まる時代、グリーンランドで、生命の痕跡の化石が発見されています。発見者は日本人。

 35億年前頃、原核単細胞生物で二酸化炭素を利用して光合成を行うラン藻が出現しました。6CO2+6H2O→C6H12O6(ブドウ糖)+6O2この結果原始海洋には少しずつ酸素が蓄積され始め、酸素は海洋中の鉄イオンを酸化し、縞状鉄鉱(20~25億年)を形成させました。原始海洋の金属イオンなど酸化させることに費やされたあと、酸素は大気に少しずつ加えられて行きます。

 原生代
 アメーバ、有孔虫のような原生動物の栄えた時代。生物は常に環境の変化に対応しようとし、従属栄養であっても酸素呼吸を行う原核生物が出現しました。大気中の酸素の増加は、オゾンの生成を促進し、生命の上陸を阻んでいる紫外線の除去を進めました。緑藻類の仲間から上陸したのはシルル紀のプシロフィトンまで、始生代の始めから30億年もかかったことになります。
 9億年前頃には酸素呼吸・独立栄養で生活できる真核単細胞生物が出現しました。エネルギーを自ら生み出し、遺伝を行い、物質を合成するなど細胞内の諸器官が発達しました。9億年からカンブリア紀の始まり頃には真核多細胞生物が爆発的に出現ししました。

 



 

 

  「チバニアン Chibanian」「千葉」の名前が国際的な地質年代区分の1つに採用へ

地磁気の逆転
 当HP 「No.2 地磁気」で学びましたが、地理上の北極の近くに地磁気のS極があるため、北半球で磁針を振らせると磁針のN極は地磁気のS極に引かれておよそ地理上の北極を向くことになります。

 ところが地質時代のある時には、地理上の北極の近くに地磁気のS極ではなく、N極(地理上の南極の近くに地磁気のN極ではなく、S極が)があったときが何度もありました。この現象を「地磁気の逆転」と呼ばれています。(関係HP のページ 「No.12 プレートテクトニクス」)

 このような過去の地磁気の逆転現象に関する研究は、新しい時代の地層・岩石ほどより詳しく正確に行われることは想像できます。なぜなら古い時代ほど地層・岩石は浸食・運搬され失われたり、地殻変動によって変位をうけているからです。

 過去の地磁気の逆転については1900年代初頭から研究されており、新生代新第三紀には「ギルバート逆転期(400万年前以前:現在の地磁気の向きと反対)」で、その後「ガウス正極期」(~250万年前)まで続いたとされています。

「松山逆転期」
 250万年前~70万年前まで再び逆転期となりその発見者の名を冠して「松山逆転期」と呼ばれています。その後(から現在にいたるまで)は「ブリュンヌ正極期」と呼ばれています。

 ギルバート、ガウス、松山、ブリュンヌはすべて研究者の名前で、松山基範(もとのり1884~1958)はわが国の地磁気・重力研究の第一人者であると同時に世界的な研究者でもありました。現在では研究が進み、現在では「松山逆転期」の期間は258.1万年前 ~ 77万年前と訂正されております。

 この間の逆転の期間にもごく短い期間正極期に戻ることがあり「(事変)event」と呼ばれています。「松山逆転期」にも4、5回の事変のあったことが分かっています。

 地磁気の逆転の仕組み-磁極が赤道を通過して逆転するという説と、通過しないという説、また原因はよく分かっていません。

「チバニアンChibanian」
「千葉」の名前が国際的な地質年代区分の1つに採用へ
 さて、2017年11月13日、国立極地研究所は新生代第四紀中期の名称(国際学会で通用される)に「チバニアン」(Chibanian)=千葉時代(※)(77万年~12.6万年BP(before present))が採用される見通しであることを発表しました。ここまでには千葉県市原市養老川沿いに堆積する地層に地磁気の逆転について茨城大学岡田 誠先生の調査・研究によるものです。


 千葉時代(※)は地質学的年代区分の呼称としては正確ではありません。地質学的年代区分は大きい区分から小さい区分に向かって「○○代」→「○○紀」→「○○世」→「○○期」と小分けにする約束になっています。
 「チバニアン」(Chibanian)は、新生代第四紀更新世中期を区分する名称ですから、日本名としては正しくは「新生代第四紀更新世千葉期」とすべきでしょう。
 ただ、報道する側の立場、受け取る私たちの理解しやすさを考えた表現とみるべきでしょう。)


 メディアは一斉に「千葉」という日本名が初めて地質時代の名称に採用されるということで大きなユースとして取り上げています。またそのニュースの後、市原市養老川沿いの露頭見学に訪れる人も沢山現れるとの報道もありました。

 日本名が地質時代の名称に採用されるということは「初めて」で喜ばしいかもしれません。以上見てきたように地磁気の研究は松山基範がわが国ではその開祖で、今回の「チバニアン」の採用見通しとなる研究の基盤をなすものといえるでしょう。また「松山逆転期」はMatuyama reversal として個人名が古地磁気学・地質学上に100年前近くに認められています。

 「チバニアン」を取り上げるだけではなく、「チバニアン」に至ったその先達の松山基範をぜひ紹介すべきと思うのです。

 

2 化石・古生物 

 化石はfossil=掘り出されたという意味で、①体化石と②生痕化石に分けられます。

 ①体化石=古生物の遺体、またはその一部

 ②生痕化石=古生物の生活の痕跡、たとえば巣穴、足跡、糞

 

 

 さらに化石は、地質学的な果たす役割の違いによって、A示準化石と、B示相化石とに分けられます。


 人相とは、人の顔のことですね。示相=古環境を示す-の意。古環境がどのようなものだったか推定に役立つ化石を示相化石といいます。たとえば、寒冷な海が広がっていたのか、河口や、潟・湾のような所だったのかなど。

 示相化石の条件:
①生活環境が進化・年代とともに変化しない
             
②適応範囲が狭い
             
EX:サンゴ(20℃以上の暖海、透明な浅海(50m以浅)、塩分濃度36‰(千分率:パーミル))


  地層の(相対)年代決定に役立つ化石。

  示準化石の条件:
①進化速度が速いこと(形が早く変わる)
           
②種としての生存期間が短い
             
③個体数が多く、広く分布する

             
EX:アンモナイト→中生代、フズリナ(紡錘虫)→石炭紀~二畳紀

3 古生代の生物 


アイテムギャラリーの説明

1 三葉虫、なまえのいわれ

 古生代の示準化石といえば、なんと言っても三葉虫。(「サンバムシ」と読む人はいませんよね。)スケッチは、Calymeneというシルル紀の三葉虫。縦に、側葉・中軸・側葉と三つに分かれているので三葉虫

2 三葉虫

 エビ、カニ、カブトガニ・・の仲間。三葉虫は腕足類やプランクトンをえさにして生きていました。脱皮して成長し大きいものは70cm以上にまでなりました。(国立科学博物館にはあるかもしれませんが展示されていません)1万種確認されているといいます。

5、6は図が縦長なために番号が出ていませんね。5の①から③は腕足類です。二枚貝とは全く。異なる体のつくりになっています。6は筆石のスケッチで phyllograptus、オルドビス紀前期

7  筆石 tetragraptus オルドビス紀

8 クサリサンゴ

 古生代の前半オルドビス紀~シルル紀ノ暖かい浅海ニ生息。

9 ハチノスサンゴ

 生息の時代はオルドビス紀~二畳紀(ペルム紀)まで広がります。

10 シフォノデンドロン

 オルドビス紀~二畳紀(ペルム紀)。四方(四射)サンゴで岩手県大船渡市が化石産地として有名。

11 プシロフィトン

 シルル紀、海から初めて上陸した緑藻類(アオサ、アオノリノ仲間)。ラテン語で「裸の木」という言葉です。

12 床板サンゴ

 バリスカン造山運動によって、アパラチア山脈、ウラル山脈、タスマニア山脈、カレドニア山脈などが形成され、全世界は低温ニ向かった。地球は氷河期を向かえ古生代型生物は絶滅しました。

 

アイテムギャラリーの説明

1~5 フズリナ(紡錘虫 Chigakukyoushitu) 

直径7mm程度。石炭紀後期~二畳紀末にかけて繁栄、約5000種、大きさも直径1mm~10cmまで大型化、二畳紀末絶滅しました。進化速度が速かったのでフズリナによる地層の時代対比が詳しく行われました。パラフズリナは石炭紀末の示準化石となっています。(1~4 顕微鏡写真)

6 グロッソプテリス

 ウェゲナ-が大陸移動説を発表した際に、かつて大陸がひとつに集合していた証拠の一つにグロッソプテリスが北米、南米、オーストラリア大陸、南極大陸・・から一様に産出することを挙げています。

9 リンボクは鱗木で木の表面が鱗(ウロコ)のようになっています。特に幹の上のほうです。そこで昔は「鱗木」と漢字で書いていたのですがいまではカタカナ表記となり、分かりにくくなってしまいました。

 石炭紀の森林はやがて埋没し、炭化され石炭になりました。石炭に富む時代なのでcarboniferous period=「石炭紀」=(carbon=石炭、ferous=~に富む、period=時代、紀)

 石炭の埋蔵量の多いのはアメリカ、ロシア、中国、オーストラリアなどの安定地塊に限られます。(日本の石炭は新生代古第三紀ころの形成で、炭化が不十分-良い品質の石炭があまり産出されません。現在はのエネルギーは電気・石油にシフトしています)

 

4 中生代の生物  

 中生代の気候は高温・多湿で、各地に亜熱帯植物であるセコイアデンドロン、メタセコイア、湿原植物のイネ科の植物・スイレンなど生育しは虫類や・昆虫が大型化しました。


アイテムギャラリーの説明

1  エントモノチス

 三畳紀(トリアス紀)示準化石、二枚貝

2、3 トリゴニア

 二枚貝 

4 シダの葉の化石

 山口県美祢市

5 アンモナイト

 大きいものは大きい 

上野・国立科学博物館

7 ステゴザウルス


 ステゴザウルスは虫類は変温動物ですから、温度調節を自動的にできません。ステゴザウルスは背中の上に五角形の骨板を並べ持っています。暑いときには「団扇のようにあおいで涼む」という・・・?

 そこまではいかなくても風をあてて涼をとったようです。また寒いときは、日向に出て骨板が日光に当たるようにし、暖をとっていたようです。

トリケラトプス(triceratops)
 この恐竜も人気の高い恐竜ですが「トリ=tri=3つの」、「ケラ=erato=角」、「トプス=ops=顔」で、ステゴザウルスと同じように3つの角で体温調整を行っていました。(上野・国立科学博物館)

9 フタバスズキリュウ

 中生代は虫類の進化が進みました。ニワトリ位だったものが、体長50mを越えるまでに。「恐」ろしい「竜(=トカゲ)」なので「恐竜」。魚竜、首長竜、翼竜に分類されます。

 フタバスズキリュウは首長竜のグループで1968年福島県いわき市で発見されました。発見者の名前が学名についているんですね。

 体重30トンのブロントザウルスは毎日1トン以上の食料を食べていました。

 

(岩手県立博物館:レプリカ)


小天体の地球への衝突(6500万年前)

 6500万年前、直径約10kmの小天体が秒速30km/秒の速度で(推定)地球に衝突しました。発生した地震のマグニチュード12、発生した中心付近の津波の波高は500mだったと推定されています。衝撃によってできたクレーターの直径は約200kmと推定され、衝突のエネルギーはTNT火薬で1億メガトンと見積もられています。衝突地点付近では火災も発生し、多くの動植物が焼き尽くされました。衝突と同時に大量の海水は蒸発し、大気にもたらせられました。

上野・国立科学博物館

 粉塵は成層圏(HP No.19 大気の構造 を参照)まで達し、日光が遮蔽され暗黒の日々が数ヶ月続きました。小天体の衝突後、すべての大陸で数日以内にマイナス30℃以下まで気温が下がり大陸内陸部では6mの降雪にみまわれたであろう-とのことです。この突然な環境変化によっても動植物は死に絶えました。

 しかし、三畳紀(トリアス紀)に出現したほ乳類は体が小さかった(+は虫類のワニ、カメ、トカゲ)ことが幸いし白亜紀末の生物大絶滅の危機を乗り越えることができました。

 

小天体の衝突の証拠

 

 

 

衝撃石英の存在


 溶けるまでにいかなくても衝突に関連した衝撃で、一瞬のうちに鉱物の結晶構造にゆがみが作られます。(顕微鏡写真)

 

球粒の存在

 キ ューバ島西部の球粒。白亜紀と新第三紀境界堆積物から採取されたガラス質球粒。小天体が衝突し、地殻物質が高温となって溶け急激に冷やされガラス状になって球粒状になったと考えられています。直径は約0.5mm

 

白亜紀と新第三紀境界粘土層
 デンマークコペンハーゲンの南方、バルト海に面したスティーブン(ス)クリントの海食崖から採取された境界粘土層(現地では薄いところでは数cm、厚いところでは10cmほど)。中央の色の濃い部分。ほとんど水平層です。現在世界70か所で境界粘土層が発見されています。
 境界粘土層の下の地層にはウニ、二枚貝、ムラサキ貝など化石が産出し生物が生きていた痕跡が示されるのに対し、境界粘土層には全く生命の痕跡が無いということです。

(「小天体の地球への衝突」の写真は上野・国立科学博物館によります。説明文は、同館説明にChigakukyoushituでさらに追加・編集を加えております)

)

5 新生代の生物  

 ほ乳類、被子植物の時代。貨幣石(ヌンムリテス)、レピドシクリナ、オパキュリナ。巻き貝のビカリア(新第三紀示準化石)、ゾウの時代。

 第三紀末から地球は寒冷化に向かい第四紀には4度の氷期が訪れています。寒冷化は、アルプス・ヒマラヤ山脈が形成されたことが1つ要因にあげられています。

 動物界では中生代から新生代にかけて恐竜やアンモナイトの絶滅など著しい変化がありましたが、新生代に入るとほ乳類が分化し発達しました。一方、植物界では白亜紀の後半に新生代に活躍すべく被子植物が出現していました。

 今の私たちの直接の祖先である現生人類は約4万年前に地球に現れました。(200万年前の最初期の原人から連綿とつながっているという説明を国立科学博物館では行っています)

 第四紀には四回の氷期が訪れ、1万年前に訪れたウルム氷期は最も寒冷で中緯度地方で最高気温が8~13℃だったということです。真夏でもせいぜい梅が咲くか咲かないかの暖かさであったわけで、このなかを私たちの祖先は生き延びました。その祖先と生命がつながっている-不思議な感じがしませんか?

貨幣石
 フランスでは古第三紀を「Nummulitque(貨幣石紀)」とよぶほど(Haug 1911)で暖かい海に貨幣の形をしたフズリナの仲間-有孔虫類。数cmから大きいものは10cmになります。写真は小笠原島母島御幸之浜、現世の貨幣石で直系1.3cmほどです。(上野・国立科学博物館)

 


オパキュリナ
 貨幣石と同じ有孔虫類ですが、直径が2~5mmと小さいです。写真ではよく見えませんが、薄い円盤状で巻き貝のような形をしています。

 

イチョウの葉の化石
 現在のイチョウの葉と何ら変わりありません。

 

デスモスチルス
 新第三紀中新世太平洋の岸にすんでいました。体長3mほどで、カバに似たほ乳類・草食動物(2014.科博1898)

 

ビカリア
 新第三紀示準化石、巻き貝、サザエの仲間。

 

 

 

メタセコイアの球果
 球果というと難しくなりますが、杉の実-あれと同じものです。メタセコイアは新生代新第三紀示準化石、木本化石となります。ヒノキに似た葉と樹形で数十mの高さになります。メタセコイアの先祖のセコイアはジュラ紀に出現していました。

 

 

 

 かつて第三紀と第四紀の境界をどこに置くべきか、長い間地史学上の問題でした。絶対年代の測定、古地磁気の測定、有孔虫類の研究からその境界が決定され、第四紀の始まりが今から170万年前とされました。

 一言で言えば第四紀は「人類の時代」といえます。

第四紀更新世 葉の化石 

シナノキ、ムシカリ(=オオカメノキ)、アズマシャクナゲ(東石楠花)、カエデ。これらは現在でも身近に見ることができます。



 オオカメノキ

 オオカメノキの花と葉(丸い形が特徴) 岩手県焼石岳中腹5月中旬

 

象の進化



上の写真左はアケボノゾウ、右はトウヨウゾウ

 あごの骨であったり臼歯の化石です。

 アケボノゾウは250万年 ~ 100万年前に生息していたゾウで、日本の各地で化石が発見されている小型なゾウです。

 トウヨウゾウ

 新生代第四紀更新世120万年前頃日本に渡来したとされています。京都の中学校科学クラブの生徒さんたちがトウヨウゾウ臼歯を発見したのが発端とされています。

 写真下はナウマン象(静岡県浜名湖で発見されたゾウの化石に、E.Naumann(1854~1827) 東大地質学教授の名前が用いられた)新生代第四紀更新世63万年頃に頃日本に日本に生息していたとされています。中国大陸から朝鮮半島を伝って日本列島に渡ってきたと考えられています。

 

馬の進化

 

 新生代古第三紀の真ん中辺の時代に馬が北アメリカ大陸に現れました体長わずか30cm程度!だったそうです。尻尾は短く前足は四本の指(骨)がありました。
 次第に進化して大きさも狼(も死滅していますから)犬くらいの大きさになり、前足の指も三本に減ってきました。最終的には、第四紀~現世ではⅢの指だけが発達した形になりました。(図 浅野 清 古生物学入門(1975)朝倉書店)

 

人類の出現と進化

 

(おことわり。2~6の写真はNational Museum of Nature and Science 地球生命史と人類-自然との共存をめざして 国立科学博物館2005.9.1、地球科学館ガイドブック 地球生命史と人類-自然との共存をめざして 国立科学博物館 2016.7.29をスキャナーで読み込んだ資料です)


ヒトとは

 直立して二足歩行を行う

 大きな脳を持つ

道具を使用する

④言語によるコミュニケーションを行う

 中生代末(1億年前の)ハリネズミ・モグラ・ジネズミ-食虫類から霊長類(ヒト、類人猿、猿のグループ)へ進化して、そこのグループからテナガザルが進化、そして人類が誕生したと考えられています。


 第四紀の始まる30万年前ころ
 アウストラロピテクス(更新世前期) 

(アウストラロ=南の、ピテクス=猿)、二足歩行を行い、自由な手で道具(礫石器など)を作りました。

 


 

 

直立原人(更新世中期)(ホモ エレクトス=北京原人、ジャワ原人)
 1800年後半にジャワ島で発見され、ジャワ原人あるいはPthecanthoropusとよばれてきました。言語なき猿人といわれています。ヒツジ、イノシシ、カワウソの狩りを行っていました。核石器、骨器、木器を作り火を使っていました。食人の風習があったらしいです~。

 





 ネアンデルタール旧人(更新世後期:リス氷期~ウルム氷期にかけて生息 Homme Neanderthal)
 1858年、ドイツ・デッユッセルドルフ近郊の「ネアデル谷」から発見されたネアンデルタール旧人。成人身長でも1.5m程度であったそうです。

 木の槍、石の穂先のついた槍を使用し、落とし穴を仕掛けたり、ボーラ(両端に重りの玉のついたヌンチャクのようなもの)を使ってマンモス、クマ、サイを捕獲、焼いて食べた-といわれています。身体装飾(入れ墨?)や亡くなった人を弔うことを行いました。




 現生人類(ホモ サピエンス サピエンス 更新世後期)

 1868年フランスで発見されて以来、ヨーロッパ各地で発見されています。返りのある矢尻(獲物に矢が刺さっても抜けない)、精巧な彫刻、穴の開いた道具、やり投げ器、土器などを使用。落とし穴に獲物を落としたり、崖に追い詰めて落としたり集団的狩猟を行いました。魚釣りをしたり、蜂蜜をとったりしました。毛皮、頭巾を身にまとい、テントのような中に生活していました。ウルム氷期後農耕・牧畜を行いました。
 今から1万年前頃以降、日本では縄文時代に入ります。人類の歴史の始まりをもって地史学は終了し歴史学にバトンを引き継ぐことになります。


(おことわり:アウストラロピテクス以下4枚の写真は、Heliotex社、スイスジュネーブ博物館(Museum De Geneve)で購入した絵はがきによるものです。また、写真顔面の想像復元はY.Larsenによるとあります。)


日本人はどこから来たか



 説明文によると、6~5万年前にアフリカ大陸中央部から現生人類(ホモ サピエンス サピエンス)が世界各地に急激に拡散して行き、日本列島には4万年前に到達したのではないか-とあります。ルートは①朝鮮半島から九州へ南下・本州へ入るルート、②九州から北上し本州へ入るルート、③カラフト から南下するルート3つが示されています

 

 新生代古第三紀後半から寒冷化が始まり、この頃が氷期の始まりと考えられます。

 新生代新第三紀、北半球に氷河が発達しだし第四紀(170万年)以降、ドナウ寒冷期(70万年前頃)、ギュンツ氷期(60~50万年前頃)、ミンデル氷期(48~38万年前頃)、リス氷期(15万年前頃)、ウルム(ビュルム)氷期(7.2万年前~1万年前頃)の四回の氷期(氷河期)があったことがわかっています。

 氷期の間隔は10~12万年間隔で訪れており、この周期は地球の公転軌道の変化によって説明できるとの主張もあります。

 直近のウルム氷期は詳しく調べられていて更に4つの氷期に区分されています。

 もっとも寒冷だったウルム氷期は、現在より平均気温で6~8℃低かったと言われており、海面が低下し北海道は樺太(サハリン)と、中国地方・九州は朝鮮半島と陸続きになりました。

 写真はスイス・ベルナーオーバーランドのユングルラウヨホのアレッチ氷河の写真です。氷期には山岳の他低地にも氷河(氷床)が発達しました。日本のアルプスや北海道日高山脈にもカールなど氷河地形が確認できます。

 スフィンクス展望台(左)アレッチ氷河(クライネシャイディック観光パンフレットを一部使用)



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